ただお礼を言いたかった。 (2度目のコラム)

昨日のコラムで
当時の一つ後輩の桑島一恭さんのことを
書きました。
今日のコラムでもどうしても
紹介したい人物がいます。
やはり当時会社の一つ後輩の樫野孝人さんです。
樫野さんは中学校も同じでした。

このコラムは2009年の6月7日に
書いたものです。

(先日あるところで
お二人の方から「樫野君とテイストが似ているね」と
言われて、大喜びをしています・笑)

2009年6月7日の思いつきコラム
『ただお礼を言いたかった』より

「樫野君とまた会いたいけど
もう会えないかもしれないな・・・と
あまりにも有名になり過ぎて・・・」(私)

「逢えるわよ!! きっと。
 
 私 連絡してみよう。っと
 会社の電話番号はわかる?」(玉田さん)

昨年の春頃
IMJのHPを見ながら。
リクルート時代の先輩の玉田洋子さんと
そんな話をしていました。

そして、一昨日、本当に
樫野孝人さんと逢いました。

たまたま彼が神戸に帰って来てて!!!

あのIMJ(上場企業)の代表取締役として
大活躍されている彼と逢いました。

「柳本さん ご無沙汰していました!!!
 
若いままや!!変ってない!! 全然!!

 柳本さん、神戸で大活躍されているんでしょう!!」(樫野さん)

「大活躍してるんは 樫野の方やろ!!
 それより どう呼んだらええ?
 樫野会長なん??」(私)

「まさか! 樫野でいいに決まってるでしょう!
 後輩なんだから・・・」(樫野さん)

「あの日経ビジネスに出てた時の写真
見てたから
 樫野も大社長らしい風貌になったなと
 思ってたけど
 20年前と全然変ってなくて
 よかったわ!!!」(私)

20年ぶりに逢って
会話の第一声がこんな感じでした。

超有名企業の代表取締役に就任していても
彼は昔と変っていませんでした。

あの爽やかな笑顔とテンポのいい口調と
人と常に立てるところも・・・

23年前の冬
彼と一緒に会社から帰る時のこと

「あのな
 今日 支社長にだけ言ったんやけど
 来月の末で
 リクルート辞めることにしたんや!」(私)

「なっ なんですか???」(樫野さん)

「こんな営業成績で
 申し訳なくて
 これ以上、会社に迷惑掛ける
 訳にいかんから・・・」(私)

「柳本さん いっつも一生懸命やし
 迷惑なんて掛けてないし!!
 なんでそんなに結論を焦るんですか!!
 辞める必要なんてないやん!!」(樫野さん)

彼は目に涙をいっぱい溜めて
私にそう言ってくれました。

営業成績が振るわず
追われるように会社を辞めていく
私に対して・・・・。

「ありがとう。
 こんなところで
 大声で話してても
 あかんから
 飲みに行こう・・・」(私)

三宮駅のど真ん中で
こんな話をしていましたから
私は彼を飲みに連れていきました。

自分が辞めることで
泣いてくれる人なんていたんだ。と思うと
本当に嬉しかった。

今でもあの日のことを
よく覚えています。

実は彼と逢って
どうしてもこの日のお礼を
言いたいと思っていました。

23年ぶりに逢えて・・・

お礼を言うことを決めていたのに・・・

久しぶりに逢うと
あの少年のようなキラキラした目を見ると
お礼を言うより
先に、彼をイジることしかできませんでした。

だから
まだお礼を言っていません。

このコラムでお礼を言います。(書きます)

「本当にありがとう。
 あの時 本当に嬉しかったです。
 三宮のど真ん中で
 人目を憚らず泣いてくれた
 樫野孝人に、
心から『ありがとう』と言います。
 本当にありがとう」

また逢うでしょうけど
その時はまた恥ずかしくて言えないと思うので
これで勘弁してください。

会社を卒業して
3年が過ぎた頃

私は三宮の地下街(サンチカ)で
彼と久しぶりに逢いました。

「かしの!! ひさしぶり!!」

「やなぎもとさん おひさしぶりです!!!
 僕ね。今 福岡にいるんですよ!!
 ダイエーホークスの仕事してて・・・」

彼は少年のように目をキラキラ輝かせながら
仕事の説明をしてくました。

『この子は大出世する』

私の直観でした。

(この子というという表現が悪くてすみません。
 その時の私の心境だったんです)
 
 

逢えるもんですね。

逢いたいと思うと!!!

今回のことに関しては
すべて玉田洋子先輩のお蔭でしたが・・・。

玉田さん
本当にありがとうございます。

先輩らしいことは
何ひとつしていないままなので
樫野孝人さんに対して
何かできることはないか
今、考えています。

本気で応援したい人が
また一人増えました!!!

それがとっても嬉しいです!!