今日の思いつきコラムは
友人の志賀美春さんのメルマガからの
引用です。
天国と地獄のお話です。
<私の思い>
「天国へ行くのに最も有効な方法は
地獄へ行く道を熟知することである」
「君主論」の著者でイタリア、ルネッサンス期の思想家、
ニッコロ・マキアヴェッリの語録にある言葉です。
彼の価値観、思想、考え方は独特なものがあり
賛否両論があったりします。
ある意味で、シニカルに冷静で現実主義的な解釈を加えており、
宗教的な道徳意識が強い人ほど反発したくなる内容も語られています。
しかし私は、冒頭の言葉には、賛成します。
常に私たちの理解や把握、価値観は、比較の結果にあります。
誰々がどうだから・・・という尺度で自分とを比較し
自分の位置、考え、理想を設定します。
他人との比較でしか、自分自身を言い表すことすらできません。
もしも無人島で生まれて
一度も他の人間と会ったこともなかったとしたら、
自分自身が幸せなのか、
不幸なのか・・・分かるはずがありません。
陰陽思想の太極図も、陰中陽あり
陽中陰あり、という形をしています。
つまり、陰を語るには陽を定義しなければ
語ることができないし、
逆もそうである、ということも意味しています。
自分自身が幸せかどうかは
他の存在に比べての価値観を創らないことには、
定義すらできないのです。
ですから、本当に天国に行くことを望むのであれば
真の意味での自分にとっての地獄、
を定義し、どうなったら地獄に行くのか?・・・を
徹底的に分析検証する必要がある、
ということは真理であると思います。
これは、全てのことに通じると思います。
幸せになりたい、と思った時に、なりがちなのは
「思った通りに行かない」とか、
「持ちたいものを持っていない」
「持ちたくないものを持っている」・・・
というような状況を以て、自分は不幸である
もしくは、幸せではない、
と定義してしまいがちではないでしょうか?
しかし、本当の意味で自分の不幸な状態とは?・・・。
それを、本気で考えきれていない
直視しきれていない人が多いと
言えるのではないでしょうか?
ですから、本気で天国に行きたいと考えるのであれば
逆の地獄の行き方を熟知すれば、
誤って地獄に行きかけたとしても、戻ってこれるし
地獄への行き方と逆をすれば、
天国に行けることになるのだ、と
言い得るのだということです。
一方、この言葉を「なるほど、深い」で
済ますべきではありません。
「なるほど、深い」では行動になりませんから。
大事なのは、自分にとっての天国と地獄
もしくは幸せと不幸。
これを徹底的に探求し、書き上げることです。
そして、それを常に続け、両方向ともに
そうなるための方法を考えることです。
そうしていると、モノやお金を持っている・持っていない、
は天国や幸せへ直接つながるものではない、と
理解できるはずではないでしょうか?