4月7日、メジロパーマーという名馬が
天国に旅立ったと今日の朝刊で知りました。
私が競馬を始めたのは1991年でした。
翌年の宝塚記念に
どうしても気になる馬が出場しました。
平場のレースを諦め
障害レースに挑戦し
再度、勝ち上がってきた根性の馬
『メジロパーマー』。
「宝塚、お前 何買うんや?」(友人)
「メジロパーマーや
来るような気がしてて・・」(私)
「相変わらず素人やな?
来るわけないやろ?
4コーナーまで
トップでいるかもしれんけど
すぐに馬群に沈むわ。
あの馬、平場でもあかんから
障害に行って、戻って来た馬やで
まぁG1まで出られただけ十分や」(友人)
「まぁそうかもしれんけど
一旦、落ちても這い上がってきた馬やから
なんか、応援したいやん。
そんなんが好きやねん」(私)
「お前らしいな。
まっ勝手にしいや」(友人)
私は競馬友達と
こんな会話をしていました。
確かに来るはずもない馬だったでしょう。
実績だけなら。
しかし、宝塚記念スタート直後から
山田泰誠とメジロパーマーは
大逃げを決め込み
「山田泰誠とメジロパーマーの逃走劇はどこまで続くのか!!!」の
アナウンサーの叫び声のまま
見事に、ゴールを1位のまま駆け抜けました。
そして、その年の暮れ
有馬記念にもメジロパーマーは出場しました。
私は初めから
メジロパーマーに決めていました。
有馬記念当日
メジロパーマーは15番人気。
「周ちゃん、今日は何買うん?」(片山隆司さん)
「メジロパーマーに決めてるねん」(私)
「あっそう言えば
宝塚記念で、獲ったんやね。
そのお礼やろ」(片山さん)
「はい。15番人気でも
買わないといけないでしょう」
「周ちゃんらしいわ。
来たらいいね」
そして、有馬記念がスタート
山田泰誠とメジロパーマーの逃走劇が
はじまりました。
後続に15馬身も開けるような大逃げを決めて
4コーナーを回りました。
しかし、ゴール前1ハロン(200M)
もう脚が止まりかけています。
すぐ後ろにはレガシーワールドが
凄い脚で迫って来ています。
両馬揃って、ゴールイン。
「どっちや!!」(私)
「周ちゃん
パーマーが勝ったはずや。
間違いない。
わずかやけどレガシー
届いてないはずや。
パーマー二枚腰を使ったよ」
写真判定の時間がとても長く感じました。
第一位 メジロパーマー確定
宝塚記念に続いて、有馬記念も制しました。
「逃げ馬って
ほんまにカッコいいな」(私)
「逃げで勝てる馬が一番強いねん。
自分でレースを作って
自分で勝つんやから
本物やねん。
人(他)の力借りんと勝んやから。
ほんまに強い馬は逃げ馬やと
僕も思う」(片山さん)
他に左右されずに
自力だけで勝つ。
逃げ馬って
カッコいいなと。
そして、
そんな生き方をしないと
いけないと
メジロパーマーを見ながら
本気でそんなことを思っていました。
ギャンブル嫌いの私は競馬も
すぐに辞める気でいました。
特に1年目も2年目も
勝ちまくっていたので
こんなこと続けていたら
ロクなことにならいと
思っていたぐらいでしたから。
(いつか痛い目に遭うと
当時はそんな後ろ向きな気持ちが
ありました)
競馬を今でも続けて
競馬を通して
友達もたくさん増えて
毎年のように
競馬で勝たせてもらって・・・
競馬に出逢えたことを
感謝しています。
92年に
もしメジロパーマーという馬と
出逢っていなかったら
私はあの年で競馬を辞めていたはずです。
一旦辞めると
きっぱりと辞める私の性格からして
二度と馬券を買うこともなかったことでしょう。
ありがとう。パーマー。
一番好きな馬は
今でもメジロパーマーです。