復興

今日のコラムは友人の志賀美春さんの
メルマガからの引用です。

『復興』
心に刻んでおかないといけませんね。

<私の思い>

先々週のメルマガで『遺体 震災、津波の果てに』という本を
ご紹介しましたが、
今日は、その本の内容をもう少し掘り下げてみたいと思います。

まずは、著者、石井光太氏の
あとがき「取材を終えて」の中から一部抜粋します。

「来る日も来る日も被災地に広がる惨状を
目の当たりにするにつれ、
私ははたして日本人は
これから先どうやってこれだけの人々が惨死して横たわった
という事実を受け入れていくのだろうと考えるようになった。

震災後まもなく、メディアは示し合わせたかのように
一斉に「復興」の狼煙を上げ始めた。

だが、現地にいる身としては、被災地にいる人々が
この数えきれないほどの死を認め、
血肉化する覚悟を決めない限りそれはありえないと思っていた。
復興とは家屋や道路や防波堤を修復して済む話ではない。
人間がそこで起きた悲劇を受けいれ、
それを一生涯十字架のように背負って生きて行く決意を
固めてはじめて進むものなのだ」

この文章を読んで、どう感じますか?
どう考えますか?

ともすれば、復興というのは物質的な
「見た目」にイメージされやすいように思います。

だから、瓦礫が積んだままで、悪臭が漂っている状態では
「復興」には程遠いと感じます。

一方、綺麗にビルが建て替えられ
あたかもそんな悲劇があったとは思われない街並みになり
老若男女が笑いながら歩いている風景は
見る者に「復興」をイメージさせるでしょう。

しかし、阪神大震災でも、見た目の復旧は比較的に早かったと思います。

でも、被災した子供たち、愛する家族を亡くした人たちの「復興」は
そう簡単ではなかったに違いありません。

同じ後書きの中に当時の様子を描写した部分があります。

「幼いわが子の遺体を抱きしめて棒立ちになっている二十代の母親、
海辺でちぎれた腕を見つけて「ここに手があります」と叫んでいるお年寄り、
流された車の中に親の遺体を見つけて必死になって
ドアをこじ開けようとしている若い男性
傾いた松の木の枝にぶら下がった母親の亡骸を見つけた小学生くらいの少年・・・
目に飛び込んでくるものは
怖気をふるいたくなるような死に関する光景ばかりだった」

目の前の手の届くくらいのところを津波に流されていく家族を
目の当たりにした心の傷痕
そのありえない死屍が無残に散乱する状況を見て
人々の心からの嘆きを聴いた心の痛み、
それらは、そう簡単に拭えるはずもない、としか思えません。

おそらく、物質的な「復興」は、逆に経済社会の特需にもなり、
放っておいても進んでいくことでしょう?

しかし、石井氏が言うように
心に大きな傷を抱えてしまった被災者の方々が
その悲劇を受け入れて、前に進む気持ちを持って
初めて復興のスタートラインに立つのだ、
と私も思います。

心が前に向くように・・・。
主体的にあった事実を受け入れ、未来が見据えられるように・・・。

被災した人も、しなかった人も、出来る限りのことをする。

それこそが「復興支援」に他ならない、と思います。