矢野耀大さんの講演会より ①どうせそうなるのなら

先日、将来塾卒業生の瀬川健二君の
取り計らいで、矢野耀大(やのあきひろ)さんの
講演会に行くことができました。

矢野さんは瀬川君と同じ桜ノ宮野球部出身です。

そんなこともあり
私は阪神タイガースの中でも
矢野さんを特に応援していました。

私は講演当日
最前列で、講演を聞くこともできました。

矢野さんは自然な感じで
ご自身のエピソードを語ってくださいました。

矢野さんのお話は嘘も見栄もなんにもなくて
本当に、ストンと心に入ってきました。

今日からのコラムは
矢野燿大講演会のお話の一部と
私の感想を交えながら書くことにします。

(矢野さんのお話)

「最初のキャンプの時
 名前も知らない選手が
 さく越えの打球をバンバン打っていて・・
 僕はというと
 ボテボテのゴロを打っていて・・・
 キャッチングをしても
 プロのピッチャーの球を
 ミットの真ん中でなかなか捕球もできないでいて・・
 とんでもないところに来たというのが
 僕の最初の頃のプロ野球の感想でした。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 でもなんとか一軍のメンバーにもなれて、
ベンチで出番を待っている。
 いや、できれば試合には出たくないと思いながら
 ベンチに座っていました。
 試合に出るのが怖かったんです。
 当時は中村武司さんという素晴らしい正捕手がいて
 その人を抜かすなんて、思うこともできないし
 試合に、でなければいつまでも2番手捕手として
 一軍にいれるから・・・もし試合に出て
 結果を残せないとすぐに2軍に逆戻りです。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな自分に転機が起こったのが
3年目のオフでした。
 東北福祉大学から同期入団した選手が
 戦力外通告を受け、球団を去りました。
 せめて、励まそうと彼の部屋に
挨拶に行ったのですが
もう引っ越したあとでした。
 いつかは僕もクビになる時がくる。
 「どうせそうなるのなら
精一杯のことをやったけど
  結果アカンかった」と思えるように
 野球に取り組む決意をしたんです。
 「自分に必要なことは何か?」ということを
 考えながら、自主練習に励むようになりました。

(柳本)

プロの世界とは
想像を絶するレベルの高さなのでしょうね。

矢野さんぐらい期待された選手でも
プロの最初の壁は高いものなんでしょうね。

「試合に出るのが怖い」という気持ちは
一軍のレベルの高さと現時点での自分実力の差を
まざまざと感じていたからでしょう。
単純に怖いという消極的な気持ちではなく
矢野さんなりに自分の生き方を探していたからでしょう。
いつか自分のレギュラーで、
でも今、試合に出てもチームの役には立てない。
そんな葛藤があったように思います。
だからこそ、同期入団選手の戦力外通告を聞いた時に
自分の生き方をはっきりさせたのだと思います。

「どうせそうなるのなら」
「どうせするのなら」

この気持ち、大事ですね。