抽象度を高く持つ

今日と明日のコラムは
友人の志賀美春さんのメルマガから・・・

今日のお話は抽象度を高く持つという
お話です。

<私の思い>

抽象度・・・。
このメルマガでも何度もお伝えしている概念です。

物事を細かく、詳しく見るのではなく
出来るだけ高い視点で観る、
ということです。。

この観方の結果、大きな立ち位置での思考は
より多くの生命に対して、
共通に効果を上げられる思考となります。

これが、行動・思考・他者影響の潜在エネルギーを
大きく引き上げることにつながります。

何度かお伝えしていますが
この抽象度が高いことを
脳機能学者の苫米地英人さんは、IQが高い
という言い方をしています。

でも、これも分かりにくいので
よく私が説明に使う話をします。

二次元アリと三次元アリです。

そもそも、そんなアリはいませんが
二次元アリは平面のみ動き回れ、
認識できる蟻です。

一方、三次元アリは、三次元の立体で行動ができます。

この両者の蟻は、同一平面上にいるときは
お互いを認識できます。

しかし、その平面上に積み木が置いてあったとしたら、
二次元アリは空間に立体を把握できないので
「どうもいけない方角がある」
くらいの認識で積み木沿いにしか進むことはできません。

三次元アリは、立体の世界に生きているので
積み木があれば平気で登って行きます。

では、この二次元アリと三次元アリが戦ったら
どういう結果になるでしょうか?

三次元アリが、立体の動きをした途端
二次元アリには消えてしまったように見えるはずです。

つまり、三次元アリからは
二次元アリは見えるけれども、
二次元アリからは
三次元アリが全く見えない状態だ、ということです。

それは、神と人間みたいな次元の差です。
勝負にも何もなりやしません。

見える次元が違う・・・
これが、抽象度の差、と言えます。

「私は、神戸市民である」という人は
神戸のことしか関係がなく、
東北の震災のことは無関係です。

でも、「私は、日本人である」という人は
震災とは無関係ではいられません。

しかし、アフリカで3.6秒にひとりの子どもが
マラリアで死んでいることは、関係ありません。

このことから見ても、「私は神戸市民だから
東日本大震災なんて全然興味ない」という人と
「地球に生きている同じ人間として
アフリカの子どもの死を知らない振りはできません」と
いう人とでは、
その人が宿しているパワー
人に与える影響力は圧倒的に違うとは言えないでしょうか?・・・

そう意味での抽象度を高く持つこと。
より大きな視点で、物事をとらえること。

非常に重要だと思います。