今日のコラムも志賀美春さんの
メルマガからです。
主体性を高める。
この意味がわかると思います。
<私の思い>
先週、「もしも高校野球のマネージャーが
ドラッカーのマネジメントを読んだら」の映画を
地上波でテレビ放映していました。
映画では、野球部の監督とエースの生徒との間に
感情の行き違いが生じていました。
監督がエースの生徒のことを話すシーンがあります。
あいつはこう思っているに決まっているから
それはできない・・・というようなことを言い、
頑なにエースとの話し合いを拒絶します。
その時、主人公の前田敦子さん演じる“みなみ”は、言います。
「監督にああ思わせてしまっているのは
マネージャーである私の責任」
この主体性・・・。
もちろんドラマではあるのですが
実際に高校生で出来る人は少ないでしょう。
それどころか、世間中の社会人を含めても
数%にも満たないのでは?
とさえ思えます。
この主体宣言、メチャクチャ重要です。
いや、重要というより、これさえあれば・・・なんでもできる!です。
本当に、何だってできるし、周りにある争い、
悲しみ、怒り、憂い、恐れ、諸々の不幸を、
無くすまでにならないまでも、いつまでも有り続けずに、
吹き飛ばすことが可能です。
全てのことを自分の責任だ、と思うことは、
口で言うように簡単ではない、
ということも分かります。
実際、誰かの何かがなければ、
自分の今の感情の乱れはないはずですし・・・。
まして、自分の感情だけならまだしも
具体的に物理的・経済的・心理的な負担まで、
自分の大切な人に押し付けられたりする
ケースも多々あるのですから。
まさに、その原因を作っている人こそ問題であり
その人が改善されるべきであって、
その人に自分が何をさせたわけでもなく、
自分の責任だなんて有り得ない、と思って当然です。
しかし、その人が原因なのであったら
その人が変わる以外に改善・変化を起こす方法は皆無です。
それでは、今目の前にある不幸・改善したい問題は
自分ではどうすることもできず、
誰かの自発的変化に依存するしかない・・・ということになります。
しかし、今目の前にある不幸や改善したい問題は
自分の責任である、という立場に立つと。
前向きにそのことを改善に導く行動を
取っていない自分の行動を変えるのだ、
という主体的・自発的な解決策を講ずることが
できるようになるわけです。
その解決策が、効果が出ない場合
効果がでなかった相手が悪いのではなく、
自分が講じた手段が効果的ではなかった
というだけのことで、次の手を打てばいいだけです。
こうしたことは、分かってはいる人も多いかもしれません。
でも、主人公みなみのように
常時主体性を強く持てているか?
依存している場合があることも否定できないな・・・。
私自身がそう思います。
だから、この主体性を自分の中で
確固たるものにしなければ、と思うのです。