今日のコラムも森源太さんの
メルマガを書かせてください。
石井広三
この男のことは
何度でも語り続けたいです。
男の中の男でしたから。
広三
出逢ってくれて
ほんまにありがとう。
(森源太さんのメルマガから)
こんにちは。
親友に最後に会いにいけました。
公表しようか迷ったけど、
亡くなった大切な親友の名前は
石井広三
職業・元プロボクサー、KOZOボクシングジム会長
広三との思い出は
ここに書き出したらキリがなくなるぐらい
出会ってからの10年間に、あります。
広三は、世界タイトルマッチに3回も挑戦できた幸せなボクサー。
圧倒的に強かった!!
生涯戦績
35戦 31勝 21KO 4敗
4つの負けのうち3つは世界タイトルマッチ。
日本国内では敵なしの強さやった。
辰吉丈一郎さん、あの人と同じレベルの強さ。
広三の写真はブログに
http://ameblo.jp/morigenta/entry-11298202918.html
誰もが、石井広三は世界チャンピオンになる!!
って信じて疑わんかった。
本人も絶対に世界ば獲る!って死ぬ気でボクシングに打ち込んだ。
でも、ボロボロの体で闘い続けた広三は
世界チャンピオンになることなく、故障で引退。
3回の挑戦とも負けてしまったけど、
1999年の一回目の世界戦は、
その年の日本のボクシングの試合で最高の試合に選ばれた。
http://s.ameblo.jp/higege91/entry-11296325900.html
このブログ、読んでみて下さい。
広三の世界戦のこと、1ラウンドから最後まで
丁寧に、心ば込めて書いてくれとる観戦記です。
石井広三というボクサーのこと
本当に愛してくれた人が書いてくれたとやろうな。
広三に代って感謝申し上げます。
ママチャリで日本一周する旅の途中
広三と出会った2002年、彼は三回目の世界戦の前やった。
超満員の名古屋レインボーホール
そのリングサイドで、初めて世界タイトルマッチって
一人の男の最高の晴れ舞台も観させてもらえた。
広三が負けた瞬間
隣で応援した広三の親友・リキさんと
二人で抱き合って泣いた。
そして、
広三が引退しても
ずっとずっと親友で在り続けようって
リキさんと二人で約束した。
そのリキさんと二人で参列した告別式。
引退した広三は
地元の三重県桑名市でボクシングジムば開設した。
沢山の人が、ボクシングで健康に元気になるために、
そして、プロ志望の子は世界チャンピオンになるために
KOZOボクシングジムに通った。
子供も二人生まれた。
広三のお母さんお父さん、お兄ちゃんたちには
オイも本当に可愛がってもらった。
広三がおらん時でも、
勝手に広三の実家に行って飯ば食わしてもらって泊めてもらった。
広三の嫁さん、子供たち
お母さん、お父さん、お兄ちゃんたち。
告別式で、家族のみなさんの姿ば見たら・・・。
参列した何百人も人たち。
その全員が号泣。
石井広三
一人のボクサーとして
一人の人間味あふれる男として
沢山の
本当に沢山の人に愛された人でした。
二人で一緒に野宿したなぁ。
二人で一緒に飯も食うたし、酒も飲んだな。
一緒にギターも練習した。
いっぱい二人で歌った。
恋の話もしたなー。
夢も語り合った。
広三のジムがオープンした時
リングの上でライブさせてもらった。
三重の素敵な仲間も沢山紹介してくれた。
お互いに夢もあった。目標もあった。
広三。
無念やったろうな。
お前の夢は、存在は、
オイの心に、リキさんの心に
多くの人の心に生き続けとるけんな。
オイはオイの夢に向かっていくけん。
広三が来てくれるはずやった
9月16日なんばハッチのライブ
お前の夢も背負うけん。
背負って、オイはステージに立つけん。
そこで見とけ。
チケット要らんけん大阪まで飛んで観に来い!笑
生涯ファイター
ボクサー・石井広三
一つ年上の親友
人間・石井広三
出会ってくれて、ありがとう。
本当にありがとう。
また会おう。
げんた