放つ言葉でわかる自責と他責

昨日のコラムで
『成長の可能性の有るなし』を
コピーの取り方、アドバイスの受け方で
わかるという話を書きました。

これと似たようなお話「可能性の有るなし」を
先日、新下眞悟君が
私に教えてくれました。

少し前の話ですが
就活生相手に
就活よろず相談会をしていました。

その時に
「面接で落とされた」という学生さんと
「面接で落ちた」という学生さんがいました。

「面接で落とされた」という学生さんは
そのあと会社や人事担当の悪口や不信感ばかり語り、

「面接で落ちた」という学生さんは
改善点を探そうとしていました。

もちろん、全ての方がそうだったわけでは
ありませんが、その傾向にありました。

相談会が終わったあと
私の隣で、ずっと
学生さんと私の会話を聞いていた
新下君が私に話してくれました。

「『面接で落ちた』『面接で落とされた』
このひと言でわかりますね。
彼らに可能性があるかどうかです。
『面接で落ちた』という人は
可能性があるけど
『面接で落とされた』という人には
たぶん可能性がないですね。
自責と他責がモロに出ていますよね。
自分が放つその言葉に。
・・・・・・・・・
こういう大事なことを
伝えていかないといけないですね」

私は新下君の話を聞きながら
そうだなと納得したのと同時に
「面接で落とされた」と言って
文句ばかり言っている学生さんに対して
忠告を怠っていたことを反省しました。

嫌われても誤解されても
この大事なことは
大人が教えないといけませんね。

きっと彼らは
誰からもこの大事なことを
教えてもらえなかったでしょうから。